第20回野田みこしパレードに参加する「みこし」等について紹介します。
=写真をクリックすると大きく見られます=

Aコース(上町 七光台 中里 女組) 

 17:20〜けやき夢ロード→中央小交差点→本町通り→千葉興銀→旧NTT
       →旧共楽館通り

 18:15〜旧共楽館通り→欅のホール→けやき夢ロード→中央小交差点→本町通り
       →上町交差点

 19:10〜上町交差点入替→本町通り→下町交差点手前

 20:05〜下町交差点手前→下町交差点入替→本町通り→本部前

 21:00〜本部前→みこし同士のすれ違い→各解体場所へ

上町雨蛙みこし

 野田には古くから農作を願う雨乞いと、厄病除けとして津久舞の行事が受け継がれていて、津久の重次郎(津久柱に登って舞う人)の扮する装束が雨蛙です。これをみこしとし製作したのが昭和7年のことでした。この年は大日照りで七夕(8月7日)に雨蛙みこしを担いで雨乞いをしたところ、実際に大雨がふりだして霊験あらたかなことと喝采を浴びました。しかしコンクリート製で重すぎた事もあってお蔵入りとなり、現在のは二代目で昭和49年に作られたものです。

上町雨蛙

七光台大杉みこし

 昭和56年に四国・徳島で制作され、金色に輝き豪華絢爛の美しさを誇っていた七光台大杉みこしは、平成19年の野田みこしパレードをもって引退しました。二代目の「七光台大杉みこし」は、平成20年に野田市岩名のみこし師・須田光男氏の手で製作され、高さ1.93m、幅は1.15m、重さは400sです。引き続き文化の継承と交流のシンボルの一翼を担っていきます。
 

中里天王様みこし

 明治38年の前みこし新築から100年目、渡御が復活してから25年目となる平成17年に新築された中里天王様みこしは欅材糸柾目の白木造り、屋根は軒唐破風の漆黒磨き塗り、天に鳳凰を頂く勇壮にて精繊極まるものとなりました。大きな時代の節目となった平成17年その大業は石に刻み後世に永く残されることと成ります。みこしの大きさは鳳凰までの高さ1.55m、巾1.5mです。

中里天王様

女組大杉みこし

 上町区の子供みこしで、昭和3年に製作されたものです。高さは1.47m、巾は1.3m、重さは約180kgです。平成11年7月に完全修復し、現在に至っております。

 

Bコース(仲町 中野台 清水)

 17:20〜けやき夢ロード→中央小交差点→本町通り→上町交差点

 18:15〜上町交差点入替本町通り→下町交差点 

 19:10〜下町交差点入替→本町通り→千葉興銀→旧NTT→旧共楽館通り

 20:05〜@仲町・清水…旧共楽館通り→欅のホール→けやき夢ロード
        →中央小交差点→本町通り→本部前

       A中野台…旧共楽館通り→旧NTT→千葉興銀→本町通り→本部前

 21:00〜本部前→みこし同士のすれ違い→各解体場所へ

仲町獅子みこし

 昭和8年に製作された仲町黒獅子は、平成14年まで野田三ヶ町夏祭りに迎え獅子として活躍してきましたが、老朽化で修復が不可能となり平成15年上町の野口美樹氏により新獅子みこし完成となりました。新仲町黒獅子みこしは、高さ2.16m、巾2.1m、重さは330kgあり、黒色を基調に金色、赤色とバランスよく配色し、その姿は大きく迫力があり。これからの仲町区として大切な宝物です。

中野台大杉みこし

 担ぎ手、周囲のギャラリーの動員数ナンバーワンのきれいなみこしです。特に夜、提灯に火を灯してからの美しさは…?。是非、ご覧になってください。現在のみこしは、昭和32年に市川市行徳のみこし師・後藤直光氏により製作されたもので、中根大杉みこしと血縁関係にあたるかもしれません?比べてみてください。みこしの大きさは?。重さは不明ですが、台座から鳳凰までの高さが2.3m、担ぎ棒の長さは11.2mです。さあ、皆さん。「中野台大杉みこし」を担ぎましょう。

中野台大杉

清水大杉みこし

 清水の大杉みこしは、昭和58年7月に長野県小諸市のみこし師・土屋克身氏によって製作されました。高さは2.1m、巾は1.53m、担ぎ棒の長さは10mで、総重量は600kgにも達しています。

Cコース(下町 上花輪 太子堂 中根)

 17:20〜けやき夢ロード→中央小交差点→本町通り→下町交差点

 18:15〜下町交差点入替→本町通り→千葉興銀→旧NTT→旧共楽館通り

 19:10〜旧共楽館通り→欅のホール→けやき夢ロード→中央小交差点→本町通り
       →上町交差点

 20:00〜上町交差点入替→本町通り→本部前
 
20:50〜本部前→みこし同士のすれ違い→各解体場所へ

下町獅子みこし

金色に輝く大きい獅子は、昭和10年に製作されました。目玉や鼻の大切な箇所は細密に彫刻され、つむじや耳の回りには芯をいれて固めてあります。また、獅子の毛はマニラ麻を丁寧に櫛でよくといて、膠で元を固めて植え込んでいます。高さは2.5m、耳から耳までは2.7mあり、重さは330kgあります。この下町獅子は、上町の雨蛙と仲町の黒獅子とともに野田の名物となり、下町にとってもかけがえのない宝物です。
 

上花輪大杉みこし

 このみこしは、大正14年野田市山崎の宮大工佐藤里次則壮氏の手により誕生しました。総欅作りの白木みこしで彫りの彫物は、東京柴又の帝釈天の彫物を手掛けた石川信光氏の作台座は11.6m(3尺8寸)、高さ孔雀まで2.3m(7尺6寸)、重さは不明、担ぎ棒の長さは12m。関東のみこし、ここに有り。夏の夜ゆったりと左右に揺れる様は重量感に満ちている。
*上花輪大杉みこしのHP[白木睦]はこちら

太子堂大杉みこし

 大正10年に東京下谷稲荷町で製作された太子堂大杉みこしは、昭和15年まで祭礼の時に渡御していましたが、16年から中断していました。昭和52年に岩崎寅三氏により修理を行い、みこしを復活しました。平成3年9月のみこしパレードの参加を契機に、平成4年7月に本格的な修理をして今日に至っております。高さは1.5m(鳳凰部分0.55m)で重さは不明です。
 

中根大杉みこし

 中根の大杉みこしは、昭和3年7月に市川市行徳関ヶ島のみこし師後藤正光氏の手によって製作されたものです。みこしは低部から鳳凰までの高さが1.4m、巾1.1m、本体の重さ280kg、台60kg、担ぎ棒の長さ11.5m、重さ120kgで総重量460kgであります。

 キッコーマン本社前・東武証券駐車場・千葉興銀駐車場

関宿城下みこし

 関宿城下みこしは、関宿城代々の藩主が行ってきた「天王祭」で担がれていたことが古記録にあり、10代藩主、板倉阿波守重郷の明暦3(1657)年のことろ盛儀として始まった天王祭に登場していたことが解ります。すでに350年を経過しているが数回の大修理を得て、現在に至っています。
 

 

上手囃子保存会

今は亡き深井謙治郎氏、田中松吉氏等の熱心な指導により、昭和初期に上手囃子保存会が結成されました。以来その保存継承に毎月2回の練習に励んでいます。中野台の祭礼には、必ずこのお囃子が演奏されています。平成初期から屋台を導入しおかめ・ひょっとこの「もどき」も加わって、上手囃子保存会の内容が大いに充実しました。大晦日には鹿島神社の神楽殿で、お囃子ともどきの舞で、新年初詣の客の接待をし、喜ばれています。
 

中里喜楽会

 川間は中里の宿で生まれ育って早60年になります。当会は平成17年よりみこしパレードに参加させていただいています。夏祭りには、祭ばやし(投げ合い)の囃子で、みこしの担ぎ衆に威勢を付け、パレード全体を盛り上げます。休憩時間には、めでたい場所には欠かせない「寿獅子」を演じます。始めに獅子が登場して、パレード中、怪我の無い様に悪霊を払い清めます。次に、大黒様が商売繁盛・子孫繁栄の福をパレード参加者の方々に授かります様、口上を謡い、打出の小槌を打ちながら舞います。最後にひょっとこ踊りで観衆を情緒豊な雰囲気にさせます。微力ですが、会員一同、日頃の稽古の成果を披露させていただきます。
 

鶴嶋はやし会

明治のはじめ頃に埼玉県の柿ノ木や荻島、また東京などから江戸囃子が伝わり、当時鶴嶋(つるじま)といわれたこの地区に伝えられ、祭り囃子として現在伝承されています。五穀豊穣を願った祭りでありましたが、それを支えた囃子、御輿の文化は、今私たち郷土の貴重な文化となっています。毎年行われる夏祭りには、御輿の渡御とともに、お囃子、ひょっとこ踊りなどが、賑やかに奏じられます。また地区に在所する福祉施設の盆踊りや慰問などにこの芸能を披露し、お年寄りの方々には大変喜ばれています。この伝統ある芸能をいつまでも伝えていこうと、後継者の育成をしながら、たゆまぬ稽古を続けています。
 

野田大杉ばやし
社中

古くから御輿はありましたが、昭和31年に御輿と山車を新調。最初は山車の曳き太鼓もドーンドーン・カッカッカッ!と単調なるものであったが、この新調と共に大杉ばやしの曲が本格的に始まりました。本殿は茨城県安房郡にある大杉神社。今では厄除け、夢叶いの神として崇められています。山車の雌の鳳凰が音色(お囃子)で人を呼出し、御輿の雄の鳳凰が威勢よく渡御する、いわゆる“露払い”的な存在でもあり、いつも雌雄一対なところから、つがい良縁をも伺わせます。今では野田市の民族芸能連絡協議会にも所属し、伝統文化の維持推進にも寄与しています。一方で創作曲や舞も取り入れ、新年や新設企業の幕開け等にとオファーも少なくありません。夏季祭礼には子供たちが山車を曳き太鼓笛の音色は中野台の風物詩にもなっています。メンバーは3歳から75歳、中野台のみならず東京、茨城、千葉と年齢住所国籍不問で来る人拒まず参加、練習に励んでいます。
 

下総之国津久太鼓『響』

野田市の民族芸能として約200年の伝統を持つ「津久舞」と共に演じられる「津久囃子」をルーツに、1994年9月に創作太鼓のグループとして「響」が結成されました。欅のホール開館記念公演出演、日本太鼓フェスティバル出演、琴平神社式年大祭出演等、様々なイベントにも参加しています。
 

 


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